2009年7月17日金曜日

埼玉の偉人

中島歌子 土屋沙良

 埼玉ゆかりの歌人。坂戸市に生まれた。
 夫との死別後、歌道に専念する。
 東京の自宅に歌塾「萩の舎」を開いた。


郷土出身の歌人 中島歌子
中島歌子は明治期の女流歌人である、樋口一葉の師匠として知られ、明治10年に東京都の自宅に歌塾「萩の舎」を開き、上流階級の子女達を指導しました。
 
 中島歌子は坂戸市の森戸に生まれ、18歳で水戸藩士林忠左衛門と結婚しますが、夫は幕末の水戸藩内紛のため25歳の若さで獄中死、わずか3年の結婚生活に終止符を打ちます。

 22歳で独りになった歌子は、夫との死別後、歌人の加藤千浪に師事し、書や和歌を学び、自立の道を目指して指導者となりました。やがて才能を発揮し、もっとも輝いた時代を迎えます。
 
 34歳で経営した「萩の舎」は、貴族や名士の夫人・令嬢をはじめとする門下生千人以上といわれ、樋口一葉も入門しました。
 税所敦子、鶴 久子と並んで、明治初期の3女流歌人であり、日本女子大学校の教授もつとめました。


歌子の作品集
 若き日の日記「常陸帯 上・下」
 夫との出会いを詠んだ「枕のちり」
新妻の気持ちを詠んだ「秋の道しは」
夫婦の悲壮な別れを詠んだ「秋の寝さめ」
 門下生編集の遺稿集「萩のしつく 上・下」


中島歌子60年の生涯
弘化元年 ▼12月14日 父中島又左衛門 母いくの長女として入間郡森戸村で誕生。「とせ」と命名。1歳前後に牛込揚場町に転居
10~15歳 ▼水戸徳川家の分家、松平屋江戸屋敷の奥勤めに上がる
18歳   ▼水戸藩士の林忠左衛門以(もち)徳(のり)と結婚
22歳   ▼夫獄中死
      加藤千(ち)蔭(かげ)に書を、加藤千浪(ちなみ)に和歌を学ぶ
31歳   ▼森戸村名主の兄考三郎の金銭的援助を請う
34歳   ▼歌塾「萩の舎」を開塾
39歳   ▼萩の舎家屋増築
43歳   ▼樋口一葉が入門
48歳   ▼日本女子大学校教授就任
明治34年 ▼肺炎のため死去
  60歳


 参照サイト
埼玉ゆかりの偉人データベース 
 http://www.pref.saitama.lg.jp/A12/BE00/ijindatabase/index.htm

坂戸市広報
http://www.city.sakado.lg.jp/resources/content/6372/20080527-143845.pdf

2009年7月10日金曜日

コラム:郷土の偉人、有名人

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 中島 歌子(埼玉ゆかりの偉人データベース)
 中島 歌子(坂戸市広報)
 中島 歌子(御茶ノ水女子大学 Tea Pot 和歌三首)
 中島 歌子(kotobank)
 中島 歌子(画像 石碑など)
 



 

2009年7月3日金曜日

コラム:伊藤若冲について