2009年12月18日金曜日

坂戸の偉人

 大川 平三郎 おおかわ へいざぶろう 実業家・製紙法改良 産業クリックすると新しいウィンドウで開きます
  坂戸市 1860~1936(万延元年~昭和11年) 
 実業家。坂戸市に生まれ、13歳で上京し、叔父渋沢栄一家の書生となる。
16歳で、現在の王子製紙会社に入社後、製紙法研究のため、単独で米国留学し、帰国後、材料・工程の改良を行った。その後、多くの会社の社長や取締役に就任した。
また、三芳野小学校の建設や越辺川の堤防工事に多額の私財を提供し、郷土の発展に尽くした。大正14年に大川育英会を組織し、多くの学生を育成した。

 鈴木 嘉幸 すずき かこう/鈴木 長吉 すずき ちょうきち  鋳金家・「鷲」ほか
  芸術  坂戸市 1848~1919(嘉永元年~大正8年)
 芸術家。坂戸市に生まれ、鋳物師の弟子となり、鋳金の技術を習得する。
写実的な動物の鋳造にすぐれ、明治18年のニュールンベルグ万国金工博に出品した「鷲」は、多くの絶賛を受けた。
明治29年には、鋳金家としては初めて、帝室技芸員に選ばれた。
東京国立博物館にも作品が収蔵されている。

 中島 歌子 なかじま うたこ/中島 うた なかじま うた 歌人・和歌を教授 文学
  坂戸市 1844~1903(弘化元年~明治36年)
 歌人。坂戸市に生まれ、幼くして江戸へ出る。夫と死別後の24・5歳頃に歌人加藤千浪に師事し、歌道に専念する。歌道のめざましい上達により東京の自宅に歌塾「萩の舎」を開き、上流階級の子女や樋口一葉らを指導した。
また、日本女子大学創立と同時に和歌の教授に就任した。

 長島 伝十郎 ながしま でんじゅうろう 教育者・植物研究家 教育
  坂戸市 1878~1927 (明治11年~昭和2年)
 教育者、植物研究家。川越市に生まれ、埼玉師範学校卒業後、入西小学校で教鞭をとり、明治34年から大正6年までの15年間を同小学校校長として勤務した。
また、植物に関心が深く、県内では坂戸市と秩父地方に自生している「ステゴビル(県指定天然記念物)」を発見した。

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